校 歌 と 校 章

校         歌

校歌制定の思い出

                              福田 和先生

校歌をきめようといいだしたのは昭和27年であった。

作詞者は当時の小山台高校の栗原源七氏。そして、そのつてで芥川也寸志氏に作曲を依頼できた。28年の11月に発表会をひらくまでに、丸一年かかった。校歌制定委員会が何度もひらかれ、発表会には小山台高校の柳先生やピアノ演奏に金森晴生氏も参加され、みんなで喜びあったものである。

                        (”ひがしたまがわ”No.19、創立10周年特集号より)

         

 

1.あかつきの光みなぎり    2.地は広くゆくては遠く    3.いざともに心あわせて
 自主の風そよ吹くところ     その果ての光みつめて     築きゆく平和の塔の
  すくすくと若草のびて       つつましく正しく清く       雨風にたわまぬ気力
  やさしくも豊かな心        一すじに歩むすがたを     強くもち堅くふみしめ
あふれみつ東玉川        うつしみる東玉川        よどみなき東玉川

ダウンロードに2−3分かかりますが、
待てば校歌を聞くことが出来ます。

horizontal rule

幻の校歌?

約20年以上も前の卒業生は当然知らないと思いますが、開校30周年を記念し、祝う歌を児童から募集、応募作品の中から下記3曲が入選しました。

東玉川の歌   作詞 藤瀬もとみ/作曲 金田民栄
49y-Kouka1.jpg (83723 バイト)
  

みんなの歌   作詞 篠木朋子/作曲 奥村佳津子
49y-Kouka2.jpg (88303 バイト)

ぼくらの東玉川 作詞 4年3組/作曲 金田民栄
49y-Kouka3.jpg (108612 バイト)

 

horizontal rule

校歌についての不思議

同窓会ホームページの「校歌と校章」から流れてくる校歌を何十年振りで聞いて、懐かしい思いにひたっておりましたが、一か所音程に違和感を感じるところがありました。「やさしくも豊かなこころ」の「ゆたかな」の部分なのですが、私の記憶では、小学校時代確かに「ソソレミ」の音程で歌っていたはずなので
すが、ホームページから流れてくる合唱では「ソソドミ」の音程で歌われています。つまり、へ長調ですので、「ゆたかな」の「か」の音程が、「ト」だと思っていたのに「へ」で歌われているのです。確かめようと思って、楽譜を見てみたら、「ソソドミ」(「ハハヘイ」)となっていました。つまり私は小学校時代を通じて間違った音程で歌っていたのでしょうか。それとも、どこかの時点で楽譜が2通り伝わっていていて、私たちは亜流の方を教えられたという可能性はないでしょうか。ちなみに、私が入学した時の音楽の先生は、女性の鈴木先生という方で、途中から安尾先生になりました。(数年前に、安尾先生が、自由が丘の魚菜学園のチラシに、音楽教室の講師として載っているのを見ました。)
単に私がずっと間違った音程を正しいと思って歌っていただけかも知れませんが、もしかしてどなたか私と同じような感じを持った方はおられないでしょうか。私がずっと間違えて歌っていたということが判明したら、ちょっとショックですが、真相を確かめたいと思いまして。

第17期卒業
藤田和丸

誰かご存知ですか??
もしご存知でしたら東玉川小学校同窓会事務局までご連絡ください。

 

horizontal rule

校         章

 

校章のできるまで

                             福田 和先生

校章をきめたいと真先にいいだしたのは小木曽校長先生だった。それは奥小の保健室が臨時職員室だったころである。図案は奥小の図工の専科をやっていた倉賀野先生である。

昭和26年4月といえば、原水爆禁止運動が高まりストックホルム・アッピールの署名が640万となったころである。国内ではマチス・ピカソ展が1月に開かれ、ピカソの鳩が世人の注目をひいていた。平和とか独立ということがみんなの関心をひいていた時期である。図案の鳩もそこから出たのかもしれない。

小木曽先生は、「東玉川のこどもという気持を何かではっきりさせなければいけない。」と、指示したとき、そんなものかぐらいに思っていたが、その必要はすぐにはっきり出てきた。それは、奥小に同居しているという気分から抜けださせて、自分たちの学校という自覚をもたせるのに大きく役立ったのである。

                        (”ひがしたまがわ”No.19、創立10周年特集号より)