昔住んで東玉川小学校に通っていた場所が、今はどの様に変貌したかを紹介するコーナーです。
最近卒業した方や現在地元に住んでいる方は別として、70%以上の卒業生が地元から離れており、自分が生まれ育った環境が卒業以来どのようになったかを知りたいのでは、又、小学校時代の思い出が蘇るのではと企画しました。
番地順に出来るだけ現状を詳細にお伝えしようと思います。
学区域外においてどうなったかなとお思いの方は、番外をご覧ください。東玉川神社、雪が谷商店街等、現状が分かります。
又、自分の住んでいた所がどの様に変わったかを知りたい方は、その番地を電子メール(下記の東玉川同窓会事務局へ)にてご連絡頂ければ、写真を撮りこの欄に掲載します。
もし当時の写真と比較できれば、より鮮明に思い出して頂けると思います。
よって、何か適切な写真をお持ち方がいらっしゃいましたら、ご送付頂ければ有難いです。
投稿をお待ちしております。東玉川同窓会事務局(これをクリックすると自動的に電子メールが開きます。)まで電子メールにてご連絡ください。
東玉川1丁目
東玉川1丁目1番地
ここは、旧番地で1番地から3番地まであった所です。又、番地内に調布幼稚園があります。調布幼稚園は昭和28年に設立され、昭和30年3月に一回生が卒園しました。初期の幼稚園の校舎は、今の運動場の方にあり、現在の校舎は細い道路を挟んで反対側に建っています。
幼稚園の並びの角に歯科医院がありましたが、今はありません。
同窓会の合志会長は、この番地から通いました。
桜
昔ここでパンを売っていたそうです。
桂月第一コーポの左隣の土地が売られ、平成18年1月現在、このようなモダンな家が建ちました。
東玉川1丁目6番地
松野診療所があった所は、建物はそのままですが、東玉川診療所になりました。
余程古い方でないと、ご存じないかもしれませんが、ここ東玉川にも旅館がありました。確か松葉旅館という名前だったと思います。東玉川診療所の裏手にありました。
東玉川1丁目7番地
宮本歯科があった所です。
東玉川1丁目8番地
ここは、元星美堂薬局と八百屋があった所です。
東玉川1丁目9番地
ここは、昔畑で、とうもろこし等、夏にはひまわりが咲いていました。
ここは以前、タレントのマリアンが住んでいた家があった所ですが、2005年の暮れに取り壊され、ずーと空地でしたが、2008年4月現在、家が3軒建ちました。
東玉川1丁目11番地
角地にあった大きな家が無くなり、現在(2006年8月)空き地になりました。
2007年1月現在、建築予定になりました。
東京三菱銀行の雪ケ谷アパートです。
冬雪が降るとスキーができました。
坂の上から見た光景ですが、2006年8月、坂の下に家が建築中で、このように景色が変わりつつあります。
2007年1月3日、坂の下の建築中だった家がこのようになりました。
桜
東京三菱銀行(現:三菱東京UFJ銀行)の雪ケ谷アパートが、6月中旬に、21棟の家に変貌します。
小学校から東玉川町内への帰り道、校門を出て左側方面から坂道を上る途中の左側にあった白い古いタイプの集合住宅、即ちアパートです。60年位前に建てられ、A棟、B棟、C棟の3棟で、各棟は3階建ての18部屋で、合計54所帯が住んでいましたが、2年前位に取り壊され、何になるのかなと思っていました。家は、系列の三菱地所を通じて販売されるみたいです。54世帯分の子どもの卒業生から、21世帯分の子どもの卒業生の可能性に減りますが、6月から編入生が入ってきて、少子化のなか全体で1クラス分増える可能性があり、母校が活気づくのではと想像します。
2017年6月の時点、まだ完売していません。
東玉川1丁目12番地
ここは、50年以上前から空き地でした。
東玉川1丁目16番地
昔、亀屋酒店、平野食料店、三和薬局、下村豆腐、長寿庵そば、鈴屋お菓子、甲府方文房具、伊勢喜肉屋、ヒロ理髪、壇歯科、佐々木文具及び魚政魚屋があった小学校前商店街です。
東玉川小学校前商店街の変貌 |
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昭和35年頃 |
平成13年 |
平成28年現在 |
セブンイレブン側(セブンイレブン自体がなくなる) |
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魚政 魚屋 | 駐車場 | 駐車場 |
佐々木文具店教科書取次店 | 駐車場 | 駐車場 |
檀歯科医院 | 住宅 | 住宅 |
ヒロ理髪店 | ヒロ理髪店 | 住宅 |
伊勢喜牛肉店 | 住宅 | 住宅 |
甲府方文房具店 | シーナルネッサンス宅配中華 | すえよし整骨院 |
鈴屋 お菓子屋 | 花蓮 花屋/クリーニング | エクセル東玉川 |
八百秀 八百屋 | Coffure Shimano 理髪店 | Coffure Shimano 理髪店 |
長生庵 蕎麦屋 | 小松庵 蕎麦屋 | 小松庵 蕎麦屋 |
下村豆腐屋 | 下村豆腐屋 | 住宅 |
三和薬局店 | 住宅 | 住宅 |
平野食料品店 | 住宅 | 住宅 |
亀屋酒店 | 亀屋酒店 | 柿家鮨(鮨デリバリー) |
保科運送店 | 住宅 | 住宅 |
東玉川小学校正門側 |
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東玉川小学校側道路面 | ||
宏月 山崎パン | J-Works 車販売 | 住宅 |
甲府方文房具店は、一時チャイナデリバリーになり、それから現在のクロネコ宅急便センターとして、宅急便の拠点になりました。
2008年、元平野食料品店があった場所に、かわいい店構えの本格的ケーキ屋が出来ました。名前はパティスリー・ルタンデスリーズといいます。確認しましたが、オーナーは卒業生ではありませんでした。おいしいので是非ケーキを買ってみてください。
東玉川小学校の前にあった美味しいケーキ屋「パティストリールタンデリーズ」
が、いつの間にか寿司の宅配の店に変わっていました。確か5年程前に開店した東玉川町内唯一のケーキ屋でしたが、残念です。
これも残念なことですが、ヒロ理髪店も閉店しました。
東玉川1丁目18番地
大きな溝川があった所です。今は蓋がしまっていますが。
東玉川1丁目19番地
今は東玉川第2公園及び東玉川地区会館がありますが、昔は大きな空き地で、防火用水の池しかありませんでした。その池では、夏には蛙がたくさん繁殖し、冬は氷が張り子供がその上に乗って割れて落ちたという話があります。
因みに東玉川第1公園は健在です。ここは、以前家がありましたが、火事で焼け、所有者が寄付したと聞いています。
東玉川町内で最も急な坂道です。自転車で無謀にノンブレーキで降りた方もいるのでは?
桜
東玉川1丁目20番地
小学校の帰り道、坂道を登った二股の所にあったお地蔵様は健在です。
他人事ではない保育園問題
昨今、賛否は別の話として、保育園問題が世間を賑わしていますが、遠くの出来事と思っていたところ、意外に直近にありました。東玉川1丁目町内に保育園の候補地があり、待機児童が、平成27年4月時点1,182人と全国最多の世田谷区としては、是非とも認可保育園を建てたいそうですが、不適切地として近隣住民の反対があり、整備計画が停滞しています。
小学校から東玉川町内への帰り道、校門を出て右側方面から地区会館脇の坂道を上り、坂途中の二股を道なり右に上り約60m行った左側に候補地があります。ここは、国有地で今は更地ですが、昔は、防衛省の宿舎(平屋)が建っており、多分、幹部クラスの方が住んでいたみたいで、毎朝、黒塗りの車が迎えに来ていた事を覚えている方もいらっしゃるかと思います。
因みに、東玉川町内には、調布及び銀の鈴と二つ幼稚園がありますが、保育園はありません。よって東玉川町内の児童は、現在、奥沢等の保育園に通っているのが現状だそうです。
続・他人事ではない保育園問題
前記の如く、賛否は別として、東玉川1丁目町内にある保育園の候補地が不適切地として近隣住民の反対が起こり、保育園問題になっています。候補地は、小学校の校門を出て右側方面の緑ヶ丘へ行く道との信号交差点から東玉川町内への帰り道、左手の地区会館脇の坂道を上り、坂途中の二股を道なりに右に上り約60m行った左側にあります。ここは、国有地で今は更地ですが、昔は、防衛省の宿舎が建っていました。
世田谷区は、待機児童が平成28年4月の時点1,198人(東玉川・奥沢がある玉川地区は278人)で全国最多だそうです。現在、どこまで近隣住民と折り合いがついたか不明ですが、認可保育園事業者の候補が見つかり、平成30年4月に定員60名の保育園の開園を目処に動いているみたいです。
余談ですが、大田区田園調布に隣接する世田谷区玉川田園調布(環8近く)でも、私有地に160名規模の保育園建設の話がありますが、それも近隣住民の反対により、保育園問題になっています。
(続々)他人事ではない保育園問題
前々回、前回の号で話題に取り上げましたが、保育園候補地の不適切地として近隣住民の反対が起こり保育園問題になっていた東玉川1丁目町内の候補地に保育園が建ち、平成30年4月1日から開園しました。保育園名は「グリーンホーム東玉川保育園」、運営業者は奥沢にある「グリーンヒル奥沢保育園」と同じ社会福祉法人ちとせ校友会で、60名の園児が保育可能な施設になっています。東玉川町内には調布幼稚園及び銀の鈴幼稚園の二つ幼稚園がありますが、保育園は初めてになります。場所は、小学校の校門を出て前にある環八・石川台をつなぐ二車線道路を環八方面へ向かい、最初の信号交差点を東玉川町内へ左に曲がり、左手に地区会館(元防火用水池があった空き地)を見ながら坂道を上り、坂途中の二股を道なり右に上り約60m行った左側にあります。ここは国有地で、昔は防衛省の宿舎が建っていました。
世田谷区は、前年度から保育サービス定員を1400名増やしたお陰で平成29年4月の時点861人と3歳児以上の待機児童が337人減少しましたが、依然として都内1位です。(因みに2位は目黒区617名、3位は大田区572名、又東京都全体では8586名で前年度より120名増加)
これからは、周辺の道路が狭く小さい交差路地が多いこともあり、近隣住民の自動車運転マナーと保育園に通われる親御様方の自転車運転マナーに気をつける事が大事になるかと思われます。
東玉川1丁目22番地
東海テレビ放送田園コーポです。
この家の門前の坂で、帰り道遊んだ記憶は?
しかしながら平成17年4月に、このように売地になりました。
300坪超の土地が平均45坪の土地7つに分譲、販売りされていました。平成18年4月現在、全棟建築完了で、何棟かまだ販売中みたいです。
平成18年1月現在7棟全てが建ちこのようになりました。
平成19年1月3日現在このようになりました。
元及川医院があった所です。
自由通りに面しているタバコ屋があった所です。
アパートが並んでいたところです。
ところが平成19年1月にこのアパートが撤去され、その奥にあった駐車に使われていた空地とつながり、多分500坪位になる広大な宅地が出来ました。平成19年4月現在、既に誰かが14~5棟の家を建てるみたいです。
平成20年4月現在、下記の如く家が建ちました。
平成21年4月現在、下記の如くになりました。
平成26年4月の時点、あのコンクリート3階建てのアパート、東海テレビの社宅の空き地が、どうも、一戸建て用に105u位の敷地で切り売りし、最終的に道路を含む12軒の家が建つみたいです。
12戸ではなく、下記の如く10戸立ちました。販売を開始しましたが、平成27年1月1日の時点まだ売れておらず、誰も住んでいません。将来は、ここに住むであろう子供たちが、小学校の卒業生になるかも知れません。
東玉川1丁目23番地
一時期、行列のできるラーメン屋として有名だった「スズキヤスオ」の屋台風の店があった所です。名古屋コーチンのガラをじっくり煮込み、一味唐辛子、ユズ粉でこってり感を和らげた絶妙なバランスのスープとして有名。一昨年の暮れに、世田谷区中町4-6-9に引っ越しました。多分、シェフは東玉川小30期卒の鈴木さんではないかと推測します。
旧黒田医院です。
東玉川1丁目27番地
昔は、勿論セブンイレブンはありませんでした。
平成21年1月22日にセブンイレブンが閉店しました。便利だったのに残念です。
ここの景色は昔のままではないかと思います。小学校の帰り道の右側です。
その家は、平成20年4月現在、下記の如くモダンな家になりました。
東玉川2丁目
東玉川2丁目1番地
東玉川の雪谷方面から奥沢方面を見た自由通りです。
桜
東玉川2丁目2番地
東玉川もと新井産婦人科があった所です。
東玉川2丁目5番地
玉川電気、その後セイデンがあった所です。
東玉川南端と環八の交差点です。
東玉川2丁目6番地
東玉川唯一の銭湯「小松湯」が、廃業になったそうです。平成17年5月15日は、このように煙突も壊され何も残っていません。平成17年9月
、コインパーキングになりました。多分、タクシーに乗って、「環八の小松湯の脇を右折し東玉川までお願いします」と説明した方も多いのではないかと想像しますが、「元小松湯跡」又は「コインパーキング」に変更しなければなりませんね!!
平成25年6月30日現在、マンションになりました。
桜
2017年、引越しか?どうか分かりませんが、住居がなくなり、それと共にきれいな桜もなくなりました。残念!
東玉川2丁目8番地
渡辺米店健在です。ただ右隣にあった野口燃料店及び左隣の歯医者はなくなりました。
東玉川2丁目9番地
田園調布学園(元調布学園)のグランドがこのように変貌しました。
桜
東玉川2丁目10番地
元鈴木歯科です。
東玉川2丁目11番地
和田歯科医院です。和田先生は東玉川小の卒業生です。
2丁目から1丁目に渡る自由通りとの交差点の通学路、そして緑のおばさんやおじさんが常時横断歩道を見張っていた所覚えていますか?そこの交差点には建築材料業をしていた会社がありましたが、現在(2006年8月)は無くなり、コインパーキングになりました。
東玉川2丁目12番地
確かここには花屋さんが?
東玉川2丁目13番地
確かここは魚鶴さん?
東玉川2丁目14番地
いつも、自転車にサイドリヤカーをつけ町内を回っていた豆腐屋さんが、廃業したみたいです。
現在(2006年8月)きれいな個人?住宅になったみたいです。
森春酒店が一時コンビニになり、現在、東玉川薬局になりました。
黒田医院が1丁目23番から引っ越してきました。
鈴木畳店及び八百三商店は健在です。
小坂歯科は健在です。
桜
東玉川2丁目15番地
遠州屋酒店があった所です。去年(2004年)閉店しました。
大分前にやめましたが、諏訪屋そば店があった所です。
東玉川2丁目16番地
ここは、昭和10年に廃線された新奥沢線(雪谷ー新奥沢間)の唯一の中間駅「諏訪分」のホームがあった所です。
ここら辺(15,16,17,20番地)が商店街の中心になる予定でした。
丸越クリーニング店は健在です。
ここには、乾物屋?があったのでは?
東玉川2丁目17番地
ここには、丸福肉屋がありました。
確か、ここには燃料店があったのですが?
桜
東玉川2丁目18番地
ここには、小池米店がありました。
奥沢1丁目
奥沢1丁目2番地
奥沢1丁目1番地は勿論母校東玉川小学校が所在する場所です。よって奥沢1丁目2番地から始めます。
旧番地で言いますと玉川奥沢町160-162番地だったと思われます。ここはもと養鶏場のあった場所の隣の地区です。養鶏場は石川町2−21となり、他学区域で、現在、某会社の寮になっています。
北側は、昔田んぼだったので、小学校の昔の正門を出て右側を見ると、田んぼの奥に森と寺(大音寺)があり、童謡「赤とんぼ」の風景を想像させるような風情でした。今は、南奥沢保育園と秀和マンションが建っています。
登校又は下校途中、肥溜めに落ちたなんて話があったような記憶があります。
奥沢1丁目4番地
東玉川小学校の隣です。昔、山崎パンを売っていた宏月があった所です。今はJ-Worksという輸入車販売になりました。前の通りは、環8及び中原街道の抜け道として、相変わらず朝夕渋滞します。
奥沢1丁目5番地
色々新築され、2007年1月現在の姿です。
奥沢1丁目15番地
クリタ酒店は健在ですが、最近(2005年6月)デイリーヤマザキのチェーンに入りました。
2017年の初め、15番地ブロックの真ん中辺りに、突如大きな空き地が出来ました。何が出来るか不明です。
奥沢1丁目18番地
白菊幼稚園及び大音字です。
桜
奥沢1丁目19番地
奥沢公園(タイヤ公園)です。
桜
奥沢1丁目21番地
現在の渡辺英語塾です。
桜
奥沢1丁目39番地
いろりそばは止めました。
奥沢1丁目40番地
東玉川唯一の銭湯「小松湯」が廃業したため、「つばめ湯」は
ここら辺近辺の最後の銭湯になりつつあります。奥沢へいらっしゃる機会がありましたら、是非一風呂浴びてください。
つばめ湯が長期休業に
ひがたまの学区域に最後まで残っていた奥沢1丁目の銭湯「つばめ湯」が、昨年11月末で、店主病気のため、長期休業になってしまいました。私が生まれた昭和20年代にはすでに営業しており、我が家に風呂がなかったので、毎日通った銭湯です。
その後も大きな風呂が大好きで、私の子どもたちも、また孫たちもここでお世話になりました。煙突とたぬきがシンボルの「つばめ湯」、週末の楽しみがなくなってしまったのは残念です。
長い間ありがとうございました。
因みに、近くの銭湯は、奥沢駅近くの「松の湯」と石川台駅近くの「稲荷湯」の2件となりました。
奥沢1丁目42番地
奥沢中学校です。
桜
奥沢1丁目43番地
奥沢中学校正門の前の通りの反対側です。山田様のご依頼により近況をお知らせします。
桜
奥沢1丁目60番地
東玉川方面から来た時に渡る踏切です。
桜
奥沢1丁目65番地
奥中の前の通りを緑ヶ丘方面に進んだ先の踏切で、右折すると大岡山です。
桜
番 外
ドミノピザ東玉川店開店
平成30年12月14日に「ドミノピザ」の東玉川店が開店しました。場所は、奥沢小学校近くの元サークルKのコンビニがあった所です。このため、環8から石川台に抜ける通りには「ナポリの窯 奥沢店」、「ピザハット 自由が丘店」に続き3軒目と乱立する事となり、さながら宅配ピザ通りになりました。食べる側にとっては、チョイスのバラエティが増え嬉しい話ですが、作る側にとっては、競争が厳しくなりますね。
東急ストア雪が谷店が再オープン
平成30年10月17日、「東急ストア雪が谷店」がリニューアルして再オープンしました。同店は昭和37年(1962年)9月開業しましたが、テナントとして入っていたビルが平成29年2月より耐震のため新築改装し、休業していましたので、1年7ヶ月ぶりのオープンになります。
近くには石川台の「ピーコック」、御嶽山の「イオンスタイル」「オオゼキ」、また平成30年3月には「オーケー田園調布店」が出来ましたが、一時期雪が谷のスーパーマーケットは「オオゼキ」1軒だけでした。よって、開店当日は、待ち焦がれたのか、開店セールのお陰か分かりませんが長蛇の列ができました。
これで、雪が谷周辺のスーパーマーケットの環境、特にサービス・価格の面で大分改善され、近隣住民にとってはうれしい状況になると思われます。
ファミリーマート奥沢一丁目店誕生
平成30年10月2日にコンビニの「ファミリーマート奥沢一丁目店」が誕生しました。場所は、奥沢小学校近くにあった出光ガソリンスタンド(染谷商店)の跡地です。車が4台とめられるファミマで便利になりました。又、前にありましたサンクスKは、同系列のコンビニなので吸収閉店しました。
ファミリーマートは、東玉川二丁目店(東玉川2-5-1)が環8沿いにありますが、東玉川小学校近くにありました「セブンイレブン」がなくなってからは、結構不便でしたが、これにより大分便利になるかと思います。
知っておこう町内の公衆電話の位置
昔は、どこに行っても公衆電話ボックスがありましたが、携帯が普及した現在、見かけることが少なくなりました。ただ、確かに物理的に少なくなりましたが、有ったとしても興味の問題で、意識しなくなったという方が正しいかも知れません。
ご存じのように、災害時には携帯電話の通信に規制がかかりご家族や会社、知人などと連絡を取りづらくなることが想定されますが、そのような中でも公衆電話は優先的に通話が行えるとの事です。Line等のSNSを使えば大丈夫と言う人もいるかも知れませんが、災害時には、人間慌てていますので、持って逃げるのを忘れたり、落として壊したり、充電が不十分だったり等、何が起きるか分かりません。よって、普段から近くの公衆電話の位置を確認しておくことが大事で、災害時に、余裕を持って安否確認などにご活用出来ます。特に、ここ30年以内に震度6弱以上の東京直下地震が起きる確率が50%〜70%と言われる昨今、確認準備する事をお勧めします。
設置基準は、社会生活上の安全及び戸外における最低限の通信手段を確保する観点から、市街地においては概ね500m四方に1台、それ以外の地域においては概ね1km四方に1台ということだそうです。東玉川小学校学区域内及び近辺には、東玉川小学校の前の1台を含めて、下記の如く20か所ありますので、この情報を基に、住まいの最寄りの公衆電話・電話ボックスを確認する事をお勧めします。勿論、同窓生で、学区域から引越をなされた方も、この記事を読んだ後、最寄りの公衆電話を探す事をお勧めします。
場所 | |
1 | 東玉川小学校前 |
2 | 東玉川神社境内 |
3 | 調布学園前歩道橋下 |
4 | ルーテル教会前歩道橋下 |
5 | 環8通り奥沢歩道橋下 |
6 | 奥沢歩道橋下 |
7 | 東玉川郵便局近く |
8 | 奥沢まちづくりセンター |
9 | 東急奥沢駅前公園内 |
10 | 東急目黒線緑が丘踏切付近 |
11 | 日商岩井マンション前 |
12 | 住宅供給公社石川町アパート内 |
13 | 奥沢中学校内 |
14 | 奥沢公園内 |
15 | 石川台歩道橋下 |
16 | 城南信用金庫前 |
17 | 東急雪ケ谷大塚駅前 |
18 | 田園調布郵便局前 |
19 | 調布大塚小学校前歩道橋下 |
20 | 環八調布大塚小学校前歩道橋下 |
桜と学区域
東玉川小学校付近の桜の名所は、近い所では、福山雅治の歌で有名な「桜坂」(大田区田園調布本町)、多摩川台公園(亀甲山古墳)、洗足池、ちょっと遠い所で等々力不動尊、池上本門寺等があります。又、有名ではありませんが、石川台中学校の裏手の吞川沿いの桜も、話題の目黒川の川沿いと比べると短い距離はありますが、とても綺麗です。
そこで、もっと身近に、東玉川小学校の学区域でどの位桜の木があるか調べた所、個人の庭の桜も含め、小学校前及び校庭の桜を1か所として、東玉川の学区域に19か所、奥沢の学区域に11か所、全部で31か所ありました。
東玉川小学校前の桜の木は、第1期生の卒業記念樹である楠の木の並びにあります。この桜の木は創立の頃からあったような記憶があります。
東玉川学区域で綺麗な桜は、地区会館の桜で、とても立派で見事な木です。昔は大きな空き地で防火用水があった所で、何もありませんでしたので、多分、地区会館建設時に、植樹されたものと思われます。種類は、オオシマザクラといい、房総半島、伊豆半島及び伊豆七島に分布している白色の芳香がある桜で、若葉は塩漬けにして桜餅を包むのに使われているそうです。
環八沿いのファミリーマートの隣(2丁目6番)にある個人の家の庭に咲いている桜は見事です。奥沢学区域の綺麗な桜は、奥沢公園及び大音寺にあります。
リニア新幹線と東玉川
ご存じのように、2014年10月にリニア新幹線が認可され、12年後の2027年に品川から名古屋まで、開通します。このニュースは、東玉川と全く関係ないように思われますが、実は関係があるのです!
リニア新幹線のルートは、品川を出発して、東海道新幹線の下又は沿いに走るのですが、戸越辺りから離れ洗足池、川崎武蔵中原方面経由で名古屋に向かいます。そのルート線上に、奥沢地区はありませんが、東玉川地区があります。
東玉川地区のルートは、中原街道の雪谷総合式場辺りから、大田区石川台2丁目に入り、東玉川小学校の南側を経由し、東玉川1丁目13番に入ります。その後、1丁目19番の東玉川地区会館の下、1丁目24番、1丁目23番を経て、東玉川交番近くで自由通りと交差し、東玉川2丁目19番に入り、2丁目20番、2丁目21番の田園調布学園の下を通過、環八を超え、大田区田園調布に入ります。掘削は、直径約13mのシールド工法、トンネルの深さは、大深度地下即ち地下40m以深との事です。
因みに、港区高輪にある品川駅から始まり品川区⇒大田区⇒世田谷区東玉川⇒大田区を経て川崎市に入ります。よって、東玉川は、ご存じのように世田谷でも大田区に突き出たような形をしていますので、都内で唯一リニア新幹線が通る世田谷区の町になります。又、発表されている資料から計算すると、距離は、品川を出発してから約7km台の約750mの区間位で、深度は80m位かと推定します。
石川台駅
小学校を取り巻く電車駅、雪が谷大塚駅、田園調布駅、奥沢駅及び緑が丘駅は、改装等がなされ新しくなりましたが、石川台駅は相変わらずです。大きく変化していないので、今までニュースとして取り上げませんでしたが、逆に変わっていないのでニュースにしました。
勿論、改札は最新の自動改札器になっていますが、建物自体特に、ホームは昭和のレトロのまま変わっていません。
緑が丘駅
緑が丘駅が、変わりました。ここ2〜3年改造工事をやっていましたが、平成25年3月に完成しました。写真の如く、とても現代的に綺麗で便利な駅になりました。逆を言いますと、昔風の駅の風情が無くなってしまいました。さびしい気もします。
ガソリンスタンド
東玉川小学校と奥沢小学校の間にあった出光のガソリンスタンド染谷商店が、平成25年1月31日に閉店となりました。この近辺では最後まで残った唯一の、50年近く地元の人に愛されたガソリンスタンドでしたが、残念ながらなくなりました。今後は、一番近い所でも、石川台又は雪谷の中原街道沿い又は田園調布の環八沿いになり、大変不便になりました。
平成25年6月30日現在、完全に更地になりました。
平成26年4月23日現在、その跡地は、まだ、何も計画が決まっていないらしく、下記写真の如く、更地のままです。
何か変わるような事がありましたら、記事にするつもりですが、この近辺では最後まで残った唯一、かつ地元の人に愛されたガソリンスタンドでしたので、前を通ると未だに思い出し、時代がハイブリッド・電気へ変わりつつあるとは言え、寂しい限りです。
平成27年1月1日現在、まだ、何も建っていません。
平成30年10月2日にコンビニの「ファミリーマート奥沢一丁目店」が誕生。(上記記事参照)
その前にあたコンビニの「サークルK」は、平成30年12月14日に「ドミノピザ」東玉川店になる。(上記記事参照)
大邸宅
これは、あまり東玉川とは関係ありませんが、田園調布の隣、世田谷区の玉川田園調布(田園調布は大田区です。)の東京都水道局・玉川浄水場の環八を挟んだ反対側に、一ブロック続く城壁と大きな門構えの大邸宅を覚えていらっしゃる方も多いかと思います。テレビ番組の撮影場になったり、見たことはありませんがテニスコートが敷地内にあると言われていました。その大邸宅が、これもなくなり、現在、5階建てマンションが建設中です。(平成25年3月現在、グーグルマップの
ストリートビューは、以前の大邸宅のままで、ご覧になれます。)
地区会館
この地域には二つの地区会館があります。 会館には、会議室、大広間、和室があり、定期的に活動している地域サークル(高齢者クラブ、ふれあい、子育てサロン等)があります。
東玉川地区会館(東玉川1-19-15)
奥沢東地区会館(奥沢2-9-28で、学区域ではありませんが、奥沢駅の反対側の裏)
詳しくは、玉川総合支所地域振興課(03-3702-1636)にお問い合わせ下さい。
東玉川地区会館は、昔、小学校近くの坂の脇に上方に防火用水があった広い空き地に建っています。午前中と午後5時以降は管理人さんがいます。直接ふらりと行って中に貼ってある案内やスケジュールを見て頂くと、私達みたいな普通の人たちが色んな事をやっていることを知る事が出来ます。その場で飛び入りで参加できるものもありますので、気軽に訪ねてみて下さい。
てくたくぶっく 世田谷ふるさとめぐり
玉川地域活動団体連絡協議会が発行している”てくたくぶっく”世田谷ふるさとめぐり(案内書200円税込)の九品仏コースを入手、読んでいたところ、奥沢駅を出発する東コースに、7箇所
ほど東玉川小学校学区域内又は近くに入っていましたので、ご紹介します。
”てくたく”とは、てくてく歩いて拓本を取ることだそうです。
詳しくは、世田谷区玉川総合支所区民部地域振興課(電話03-3702-1131)へお問い合わせください。
東コース(徒歩約3時間)
1. 奥沢駅
2.
丸山稲荷
3. 新奥沢駅
4.
東玉川神社 (東玉川1-32)
5.
馬頭観音 (東玉川1-28)
6.
奥沢本村由来碑(奥沢1-6)
7.
子安稲荷神社跡(奥沢1-11)
8.
大音寺 (奥沢1-18)
9.
横穴墳 (奥沢1-27)
10.
愛宕塚 (奥沢1-27)
11.道祖神
12.源照寺
13.諏訪山遺跡
14.海軍村跡
15.奥沢神社
16.豊川稲荷
17.火の見やぐら跡
18.道しるべ地蔵
19.奥沢駅
4.東玉川神社
東玉川は諏訪分という地名でした。それで、東玉川神社も諏訪神社と呼ばれ、この地区の鎮守様でした。明治の終わり頃、等々力の玉川神社に合わせて祭られていましたが、昭和に入ってから東玉川町にも鎮守様をお迎えしようということで、現在の場所に東玉川神社としてお祭りしました。境内には、庚申塔があり、塔の左右の道しるべに注意してください。(”てくたくぶっく”より抜粋)
5.馬頭観音
場所は東玉川小学校から、奥沢小学校へ向き、元セブンイレブンがあった信号の次の左手角にあります。多分、小学校在学中には見たことはあっても、あまり気にしてはいなかったかも知れません。
馬の頭をのせた観音様という意味で、馬が草を盛んに食べつくすように、まわりの悪いものを食べつくす仏様としてお祭りされていました。左右には「池上道と九品仏道」と道しるべがの文字があり、もとはここにはなく、東玉川小学校の近くにあったのを、道路拡張時に移したそうです。その隣に、赤いエプロンを着けて昔から村境に祭られている地蔵様もあり、馬頭観音に道しるべがあることと合わせて考えると、村境か道の分かれている所にあったと思われます。(”てくたくぶっく”より抜粋)
6.奥沢本村由来碑
場所は、馬頭観音から通りを挟み奥沢側に1ブロック入ったところにある大音寺墓地の入り口近くにあります。墓地内に在るので、最初は見つけるのが難しいかも知れません。小学校在学中には、見たこともない人も多いと思います。
奥沢は昔から本村と新田に分かれていました。勿論、本村が古いのですが、詳しいことはわかっていません。そこで、古くからの言い伝えを基にして、この石碑を建てたのです。元亀年間といえば、今から400年以上前のことで、小田原の北条氏が滅んで、織田信長が出てきた頃のことです。(”てくたくぶっく”より抜粋)
石碑には:
「和田義盛の二男朝盛より八代の嫡流朝清、元亀元年家臣十二名と共に武蔵の国荏原の里に来住。江戸時代奥沢本村と称し旗本渡辺某氏の領地(禄高二十二石)となる。明治の初期、東京府荏原郡玉川村大字奥沢となり本村の氏神「正一位子安稲荷大明神」は内務省令により明治四十三年十月二十四日奥沢神社に合社大正に至る。昭和七年十月一日東京市に併入、世田谷区玉川奥沢一丁目となりその後東京都に統合。」
更に追加すると、昭和45年(1970)に住居表示法に基づき世田谷区奥沢一丁目となる。
7.子安稲荷神社跡
場所は、由来碑の近くで、跡地が公園になっています。
奥沢本村の氏神様である「ウガノミタマノミコト」を祭った子安稲荷神社がありました。西側の村道から入ると並木があり、南は境にお茶の木があったそうです。奥に社殿があり、周りには大きな木が茂り、一番大きい杉の木は3人の大人が抱えるほどの太さでした。本村の氏子は26戸と少ないため、秋の祭りも毎年はせず、明治43年(1910年)、八幡神社(後の奥沢神社)に一緒に祭られました。明治の初め頃、この辺りは「稲荷山」と呼ばれていたそうです。(”てくたくぶっく”より抜粋)
8.大音寺
正覚山最勝院大音寺が正式名称です。お寺は、山と院と寺がついて正式の名になります。明治時代までは、この寺から北側奥沢中学の方までお寺と同じ高さの丘が続いていましたが、北側が削り取られてのです。お寺の本堂の前に立つと、呑川の下流が広がり、奥沢台地の向うに富士山が眺められたそうです。浄土宗で江戸中期に建てられ、九品仏と同じ宗派のお寺ですが、本尊は阿弥陀如来です。(”てくたくぶっく”より抜粋)
9.横穴墳
場所は、奥沢中学から西側(呑川方面と反対側)に2ブロック程行くと、ご存知の急坂があります。その坂が奥沢台地の東斜面にで、その途中にあります。
奥沢台地から呑川に下る辺りは湿地でした。昭和3年(1928)頃、この湿地や田畑を埋めるため、奥沢台地の東斜面を切り崩した所、その斜面に50cm位の穴が開きました。工事をする人と地主の和田さんが穴の中に入ったところ、中には石が敷き詰めてあり、二体の人骨が発見されました。それがいつの時代のものかははっきりとわかりませんが、現在、元の場所より5m離れた辺りに瓶に人骨を収めて埋めてあります。(”てくたくぶっく”より抜粋)
10.愛宕塚
場所は9横穴墳のすぐ近くで、坂を上った上(奥沢台地)にあります。
奥沢台地の東南に位置し、その下は湧き水があり、田んぼや畑が広がっていて、その向うには呑川がある所で、村の人々は、このこんもりと高くなった場所を愛宕山と読んでいました。塚の上にはツゲ、ツバキ、ヒイラギなどの大木が茂っていました。この塚の下から横穴墳の人骨が出たことなどから、古墳であろうと思われますが、今では人家が建てられているので調べようがありません。塚の高さは奥沢団地で一番高い所でした。(”てくたくぶっく”より抜粋)
雪谷保健所とアルプス電気
覚えている方もいらっしゃるのではと思いますが、調布幼稚園の中原街道側に大田区の雪谷保健所がありました。50年位前は、狂犬病予防のため、野良犬を捕獲していたりしていた記憶があるのですが?
1994年に保健所法が改正され地域保健法となり、1997年に制定された折、名前が大田西地域行政センターとなりました。しかしながら、場所が雪が谷大塚と石川台の中間位に在るため、乳幼児健診など
の時は、駅を降りて歩いていくにはちょっと不便な場所で、大田区としては、かねてから駅の近くに移転したいと考えていました。
2006年頃、丁度、雪谷税務署の脇の土地の水道局の用地が空いており、又、アルプス電気社が古い建物であるため耐震補強も含めて改築したいという計画があった事から、大田区は水道局の用地を買収及び旧保健所の用地をアルプス電気社に売却する事により、調布地域庁舎を建てる計画を組みました。
2008年10月14日に庁舎が完成、調布地域福祉課、調布地域健康課、生活福祉課及びまちなみ維持課の四つの課があります。雪谷税務署はそのまま裏にあります。
アルプス電気社
上記の理由で、社屋を一新しました。2009年4月の時点では、まだ元保健所の部分は建設中です。
田園調布駅東口
東口側に出て、坂を下りる途中左側三井住友銀行の隣ビル2階に銀座鳥ぎんの田園調布店があったのを覚えていますか?焼き鳥や釜飯を食べに行った方も多いと思います。狭い階段を上がり店内に入ると、真ん中に長いカウンターがあり衝立を挟み両側に座れるようになっていて、又それと平行し畳座席がありました。2008年9月から、ブレス・キュイジーヌという、イタリアン・レストランに変わ
りました。
駄菓子屋
最近、といっても2008年頃、田園調布学園(調布学園)から田園調布駅へ行く時、信号で六間道路に会いますが、その交差点を右に曲がってすぐ左側に駄菓子屋が出来ました。”さんぽ”という名前の店で、まだ中には入ったことはありませんが外から見る限り、店内は昔と今が融合した感じです。
因みに、
雪谷の駄菓子屋福田屋は、おじさんが高齢、病気かつ後継ぎがないため、2006年末に閉店したそうです。
奥沢東幼稚園
奥沢1丁目35番地にあった奥沢東幼稚園は廃園になり、現在跡地は住宅になっており、その角に碑が立っています。
交番
東玉川及び奥沢駅前交番です。因みに、中原街道と環八の交差点にある東調布警察署は田園調布警察署に改名。
石川台ゴルフ場
石川台ゴルフ練習場はなくなり、現在はマンションが建っています。
調布学園
調布学園が校名を田園調布学園に変更、校舎もこんなに立派になりました。
9月に行われた選挙の際、投票のため校内に入ってみましたが、当然のことながら、とても綺麗でした。
雪が谷大塚駅
今の駅です。2階に改札口があります。最初の写真は踏み切りを渡った商店街側の入り口です。最後の写真が、昔はありませんでしたが、中原街道に面している入り口です。改札口を出ると、東玉川町方面と案内があり、それに従っていくとこの入り口に出ます。
踏み切り脇の雑誌販売の店は健在です。
電車は相変わらず五反田・蒲田間を3両編成で運行していますが、ワンマン運転になり、運転手が車掌を兼ね、ホームの状況を運転席に付いているTVを通して監視しながら、運転席からドアの開閉操作をしています。ホームには、カメラとセンサーを設置し、安全を図っています。
雪ヶ谷商店街
1)踏切を渡ったすぐの亀屋万年堂です。覚えてますか?
2)商店街通りです。バーミヤン等の店もできました。
3)右側の雪谷市場があった所です。今はスーパーのオオゼキになりました。
4)奥の雪谷デパートです。こんなに綺麗になりました。
5)文房具店のクニミツがある方の通りです。
中原街道沿い
1)覚えてますか?駄菓子屋の福田屋です。おじさん(多分75歳位)元気で、去年(2004年)までやっていたのですが、閉めたのかな?
2005年3月19日現在、やっていました。おじさんもご健在です。
2)中原街道の多摩川方面の景色です。
3)東急ストア、小林金物店の角です。
4)調布薬局、三州堂書店です。漫画の立ち読みをしていたのでは?
5)元雪が谷バス終点駐車場です。昔はトレーラバスがここでUターンし、銀座経由で東京駅に行きました。
雪が谷大塚駅前にある東急ストアがテナントとして入っているビル「豊田ビル」が新築改装のため平成29年3月1日から解体開始、平成29年8月1日から建設が始まり、翌年平成30年7月31日に完成予定とのことです。現在の5階建から6階建になります。そのため、テナントとして入っていた「三州堂書店」が平成28年6月に閉店(但し、雪谷商店街奥にある店はそのまま継続)、平成29年1月にビル地下にあるカラオケが閉店、平成29年2月28日「東急ストア」が閉まりました。又、ビル自体が違うので影響がないはずの「小林金物店」も平成28年12月に閉店しました。間に挟まれている「調布薬局」はそのまま残るみたいです。よって、近くには、石川台の「ピーコック」、御嶽山の「イオンスタイル」「オオゼキ」がありますが、当面、雪が谷大塚周辺のスーパーマーケットは雪が谷商店街の「オオゼキ」一店のみになるかと思います。
雪が谷の東急ストアは、豊田ビルが昭和37年(1962年)5月に完工したその年の9月16日に「東光ストア」として開店、昭和50年には、現在の「東急ストア」に商号が変更となり、今程55年の幕を閉じました。開店当時はセルフサービス方式を導入した最先端のスーパーマーケットであったため、雪が谷商店街に影響が出てつぶれる店がでるのではないかとの懸念がありましたが、当初は買物客の慣れと値段の問題で直ぐに影響は出ませんでした。その後徐々に影響が出てきて、2003年頃に「雪が谷市場」がなくなり、その跡地にマンションが建ち、その中にオオゼキができ現在に至ります。地元にとっては、とても便利なスーパーマーケットでしただけにとても残念です。平成29年5月の時点、東急ストアが平成30年8月のビル完成後、再開するかは不明です。これは余談で、まだ決まった訳ではありませんが、「オーケー田園調布」が元「ユニクロ田園調布」の跡地にできるという話があります。そうなれば、雪が谷周辺のスーパーマーケットの環境が大分改善されると思われます。
東急ストア雪が谷店が再オープン(上記記事参照)
6)元魚秀があった所です。最近「ひょうろく」という蕎麦屋に変身しました。
7)柳橋のうなぎは健在です。
8)城南信用金庫は変化なし。
9)アルプス電気です。
オーケー田園調布店が開店!
前述の「雪が谷大塚東急ストア閉店」の中でお話しましたが、その噂通り元「ユニクロ田園調布」の跡地(環八・田園調布(旧東調布)警察署近く)に「オーケー田園調布店」が平成30年3月13日に開店しました。
オーケーとは、ディスカウント・スーパーマーケットで、創業は1958年に上板橋で始めましたが、米国のウォルマートを手本に価格戦略を取り入れ、東京・神奈川・埼玉・千葉の人口密集地を包み込む国道16号の内側を主体に展開、現在1都4県に89店舗を構え、ここ近年都内に浸透してきたスーパーです。今まで東玉川からは、仲池上店と新用賀又は用賀駅前店が一番近かったのですが、車で行く必要がありこれで歩行範囲内に出来ました。
雪が谷大塚駅には、ご存知のように東急ストアがありましたが、テナントとして入っていたビル「豊田ビル」が新築改装のため平成30年8月1日に完成するまで休業となっています。現在、近くのスーパーは、石川台の「ピーコック」、御嶽山の「イオンスタイル」「オオゼキ」とありますが、現在、雪が谷大塚周辺のスーパーは商店街の「オオゼキ」一店のみだったのが、二店となりとても便利になりました。
更に、雪が谷大塚の東急ストアが復帰すれば三店となり、雪が谷周辺のスーパーマーケットの環境、特にサービス・価格の面で大分改善され、近隣住民にとってはうれしい状況になると思われます。
奥沢駅
奥沢駅です。もう目蒲線はなくなり目黒線になりました。蒲田からではなく武蔵小杉から東横線と平行して走り、田園調布から分かれ目黒へ行き、目黒で地下鉄に連絡します。多摩川駅から蒲田への路線は多摩川線として残っています。昔は、池上線か目蒲線のどちらが先に東横線のお古の車両を貰い受けるかと言われてましたが、今や6両編成の最新車両が走っています。ただ改札口は、未だ上り・下り別々です。
駅は立派なビルになりました。駅前の原カメラ店はサンケイカメラとなり、ビルの中にあります。駅前の広場では、いろいろなイベントが開催されます。
奥沢商店街
駅前商店街です。自由通り挟んで反対側の果物屋はローソンになりました。
駅から自由通りで東玉川方面へ行く途中の商店街です。その入り口には鮪寿司で有名な入船があります。
緑ヶ丘駅と周辺
ご覧のようにあまり変わっていません。大井町線は一時期田園都市線に変名、又大井町線に戻りました。
石川台駅と周辺
こちらもあまり変わっていません。ただ中原街道から入ったすぐの所に大丸ピーコックが出来ました。
田園調布駅
写真にある駅舎は銀杏並木から見た面影を残すため建てた飾りの建物で、駅の役目はしていません。実際の改札口は、この駅舎裏側(東側)にあり、地下にプラットホームがあります。東横線、目黒線が走っています。ただ東横線の急行は止まりますが、新たに設定された特急は止まりません。
田園調布駅西口周辺
所謂大邸宅がある噴水側の西口は、ハンバーガーがおいしかったジャーマンベーカリーがなくなりウィンディーに変わり、KFCが出来ました。洋菓子喫茶のレピ・ドールは建て直しをしましたが、健在です。
交番は、昔は駅を出て左側でしたが、右側に変わりました。佐治動物病院は同じ場所に健在です。
田園調布駅東口周辺
東口は、全体的に建物は新しくなりました。巨人ファンが集まる焼き鳥屋鳥^等が健在です。又、線路が地下に潜った横浜側のその上に東急ストア等のショッピングビルが出来ました。渋谷側の線路の上にはバス停が集合されました。
又、開かずの踏切があった場所は、一時期地下トンネルになりましたが、線路が地下に埋設されたため又地上へ出てきました。
六間通りは、相変わらずです。
多摩川駅
多摩川駅は1923年3月に目黒蒲田電鉄により目黒〜丸子(現沼部)間が開通した時に出来ました。1926年に丸子多摩川駅に改称、1931年に多摩川園遊園地の名前を取って多摩川園前駅に改称、1977年12月に多摩川園駅に改称、2000年8月に多摩川駅に改称され、最初の駅名に復活し現在に至ります。
1923年11月に目黒〜蒲田間が全通し、途中東京急行電鉄に運営が変わりましたが、目蒲線として有名でした。しかしながら、2000年8月6日、同年9月26日からの営団地下鉄南北線(現東京メトロ南北線)及び都営三田線との相互直通運転開始に先立ち運転系統が分断され、旧目蒲線は、目黒〜武蔵小杉間の目黒線と多摩川駅〜蒲田間の東急多摩川線になりました。
東急電鉄によると、正式名は東急多摩川線で、これは西武鉄道に既にある多摩川線との混同を防ぐためだそうです。
多摩川遊園地
多分、第30期卒業生の方々位まで覚えていらっしゃると思いますが、当時、多摩川園遊園地と二子玉川園遊園地の二大遊園地がありました。この多摩川園遊園地では、夏にはスリラーショー、秋には菊人形展が開かれ、子供のころは多摩川園に行く日を心待ちにしていたものでした。1964年の東京オリンピックには、開園以来最高の入場者数93万人を数えましたが、昭和50年代になると、人気に陰りが見え始め、東京ディズニーランドができる3年前の1979年に閉園、大正14年開園以来55年の歴史に幕を閉じました。
閉園後、東急は跡地に、多摩川ラケットクラブという超高級な会員制テニスクラブを設立、当時会員になるためには、3百万〜5百万円を払わなくてはならなかった記憶があります。クラブは、経済不況のためか?2000年3月に閉鎖になり、跡地が公園として一般に公開され、多摩川ラケットクラブ跡地公園と呼ばれていました。最近、大田区が名前を広く一般から公募し、田園調布せせらぎ公園に改称されました。
多摩川台公園
多摩川駅からちょっと田園調布駅方面戻った左手奥(多摩川側)に正門がある公園です。
聞き違いかもしれませんが、昔は亀甲山公園と言っていた記憶があるのですが。どちらにしても、昭和20年〜40年頃まで、小学校最初の遠足はここだったと記憶します。亀甲山古墳は、現在、柵により囲われ中に入れませんが、昭和30年後半までは中に入れ発掘というよりか地表にあるものを拾う事ができたように思います。今は古墳展示室があり、多摩川台古墳群の歴史等が展示されています。
今では、あじさい園、四季の野草園、水生植物園、富士山が見える見晴台、虹橋等ができ、春には300本ある桜の下でお花見で賑わいます。
又、今はなくなりました巨人軍の多摩川グランドへ練習を見に行く時は、横を通っていったはずです。
病院
1)関医院、今はありません。
2)味沢耳鼻咽喉科、鼻の悪い方、たくさん通った方もいらっしゃるのでは?
今はやっていませんが、建物は当時のままで、看板さえ付けばあたかもやっているように見えます。、
3)大脇病院
4)奥沢病院
5)押切接骨、昔は柔道場で、骨折捻挫したりした場合はここしかありませんでした。
6)田園調布中央病院
理髪店
1)バーバータナカ(雪が谷)
2)ヤング軒(雪が谷)ちょっと路地裏の
3)ヘヤーサロン田園(環八沿い)