懐かしコーナー

第38回新春奥沢地区まつり

毎年恒例の「新春奥沢地区まつり」が、1月19日(日)に奥沢中学校を会場として開催され ました。本来の順番ですと東玉川小学校で開催されるはずでしたが、体育館の耐震補強工事が行われるため、昨年に続き奥沢中学校になりました。又、東玉川小学校で開催する時は必ず同窓生のために「ひがたまカフェ」を開いていましたので、会場は違いますが特別にテントの一角を借りて、奥沢中学校同窓会と一緒にコーヒー、レモネード、ホットココアを販売し貢献しました。


前日はみぞれ交じりの天気でしたが、当日は温暖化の現象か温かい冬晴れに代わり、早朝から多くの同窓生も来場し、58の参加団体が企画した、模擬店・PRコーナー・演芸ステージ ・ミニSLなどを楽しんでいました。
   

 約7900名の方々が来場されました。

 また、小学生マラソンには、350名余りの子どもたちが参加して、まつりの開催を盛り上げてくれました。

なお、次回の第39回「新春奥沢地区まつり」は、来年1月17日に、奥沢小学校を会場として開催する予定です。

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2019年の主な行事

☆学校行事☆

 入学式・始業式            平成3148(月)
 運動会                    令和元年
525()
 開校記念日                令和元年
621(金)
 ザ・まつり                令和元年
925()
 ひがたま発表会            令和元年
1115〜16
 卒業式(第
67回)            令和2325()

 学校公開週間                     
  
1学期                   令和元年61820
  
2学期                   令和元年101015
  
3学期                               令和2元年812

☆地区行事☆

 奥沢駅前音楽祭                     令和元年518〜19(土・日)
 納涼盆踊り大会             令和元年
727〜28(土・日)
 青少年・飯ごう炊はん     
令和元年81予定   
    アドベンチャーIN多摩川   
令和元年825予定 
 奥沢神社祭礼
                         令和元年914〜15(土・日)
 奥沢区民センター文化祭
          令和元年1019〜20(土・日)
 青少年・親子バスハイク     令和元年
1117日 予定
 新春奥沢地区まつり          令和
2119()

 奥沢中学校 入学式                 平成3149(月) 
 奥沢中学校体育祭
                   令和元年68()
 奥沢小学校運動会
                   令和元年928()

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バス停「東玉川小学校前」がありました!

 

  昔「東玉川小学校前」というバス停がありました。母校の前にある環八と石川台を繋ぐ区道(311号線)で、環八方面へは「ディサービスセンター東玉川(昔セブンイレブンがあった所)」の前辺り、石川台方面へは、母校の電話ボックスがある辺りにバス停がありました。東京急行電鉄・バス部門(現東急バス)が昭和276月に等々力駅〜田園調布駅入口〜石川台〜長原〜大森駅間に路線を新設、その際、田園調布駅〜石川台間に「奥沢小学校前」と「東玉川小学校前」というバス停を設置しました。

 その後、285月に瀬田、304月に二子玉川駅まで区間を延長し、最終的に二子玉川〜等々力駅入口〜田園調布駅入口〜「奥沢小学校前」〜「東玉川小学校前」〜石川台〜長原〜大森駅間という「森09」系統というバス路線ができました。路線開通当時はまだ環八が出来ていませんので、(田園調布〜中原街道間が開通したのは昭和45年頃)二子玉川から田園調布までの道路は美しい桜並木通りでした。

 しかしながら、昭和566月東急の路線改編で中延営業所が廃止され、「森09」も廃止となり、「奥沢小学校前」と「東玉川小学校前」というバス停も一緒になくなりそうになりましたが、中延営業所管轄の品川駅〜石川台〜丸子橋路線「品90」が瀬田営業所に移管されたので、「品90」へのバスを瀬田営業所からへ入出庫するため「森09」の路線の一部が使われることになりました。即ち、「品90」向けバスを瀬田営業所から出庫するのに田園調布駅入口〜石川台経由で「品90」路線へ、又は「品90」で運行中のバスを入庫するのには「品90」の石川台から田園調布駅入口〜瀬田営業所へとなり、「奥沢小学校前」と「東玉川小学校前」というバス停が存続することになりました。

 残念ながら、平成元年41日に「品90」が廃止されたため、「奥沢小学校前」と「東玉川小学校前」というバス停がなくなりました。平成元年卒業の第36期同窓生ぐらいまでは、「東玉川小学校前」というバス停があったと記憶しているかと思います。

 ただ、「品90」になってから、行先が瀬田営業所又は品川駅・丸子橋となり、本数も瀬田営業所からの/へのバスの入出庫のみで少なくなったこともあり、利用者数が激減した記憶があります。何処へ行くにもちょっと歩いて、石川台駅や奥沢駅から電車で行ったほうが早いので、乗車する人が限られてしまったためだと思います。

ただ、母校の前の道路にバスが通り、「東玉川小学校前」というバス停があったという歴史的事実?を何とはなしに後世に伝えたい気持ちからです

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渋谷33系統廃止

 

以前、このホームページで渋谷33系統の話をしましたが、残念ながら平成302月28日にとうとう廃止になりました。

昭和34年に渋谷駅〜大森駅間が繋がることにより、奥沢駅南口〜雪が谷駅間の自由通りに「東玉川町」「東玉川交番前」「調布高校グランド前」というバス停が設置されて以来、589ヶ月の長きに渡って運行されました。下記がその沿革です。有難うございました。

東玉川町民とっては、特に奥沢駅、都立大学駅、時間に余裕があれば渋谷駅まで行くのに大変重宝しました。そのバス停は多摩01系統(多摩川駅〜東京医療センター(昔の東京国立第二病院)) 路線にそのまま受け継がれていますので、高齢者の方々の足として未だ便利に利用されています。

 

年月日

経路

備考

昭和3451

渋谷駅〜大森駅

渋谷駅〜都立大学〜雪谷を延長

昭和30年代後半

渋谷駅〜大森操車所

大森駅〜大森操車所へ延長

昭和4731

33渋谷駅〜大森操車所

系統番号付与

昭和56526

33渋谷駅〜丸子橋

路線を分離し、丸子橋となる

平成元年1216

33渋谷駅〜多摩川園

丸子橋折返し廃止、多摩川園へ延長

平成1286

33渋谷駅〜多摩川駅

多摩川園駅から多摩川駅に変更

平成141016

33渋谷駅〜多摩川駅

33運行朝のみ

多摩01多摩川駅〜東京医療センター

多摩01が開設

平成302月28日

多摩01多摩川駅〜東京医療センター

33廃止

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『奥中音楽団』地域で大活躍 ♪

東玉川小学校の卒業生は、既に5,000名を超えており、社会のいろいろな分野で活躍しています。そんな中で、今回地域行事等で演奏を披露している「奥中音楽団」について紹介します。

メンバーは、東玉川小卒業生2名(星野里昴さん、高津英奈さん)と奥沢小卒業生2名(村田春歌さん、村田彩歌さん)からなる、女性4名のピアノとバイオリン演奏のユニットです。小学校卒業後は、皆さん奥沢中学校に進学し、そこで知り合った仲間で、名前の由来ともなった『奥中音楽団』が結成されました。今春には、皆さん音楽大学に進学され、さらに演奏に磨きをかけるようです。今度どこかで出演にめぐり会えたら、その演奏に心躍らせてください。

 

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東玉川小学校の今(5)

東玉川小学校の卒業生は、昨年の平成30年度第65期生卒業により5,100名を超えており、社会の色々な分野で活躍しております。

 

そんな中で、地元の東玉川・奥沢地区に在住している多くの同窓生の皆さんが、地区の中で様々な活動を行っている団体や委員会に所属して頑張っておられます。そんな団体を紹介します。

「学校関係」

・東玉川小学校学校運営委員会           :学校の内部組織として地域代表等が学校運営に参画 。

・同     学校関係者評価委員会     :学校運営に関するアンケート調査・評価・提言。

・同     学校評議委員             :学校長への意見・相談役。

・同     PTA                   :在校生の保護者と教員で、諸活動により学校を支援。

「地域関係」

・町会(東玉川町会、奥沢交和会)       :会員相互の助け合い親睦と安心安全なまちづくり

・奥沢地区身近なまちづくり推進協議会   :区と協力して自主的なまちづくり活動の推進

・青少年奥沢地区委員会                 :青少年の健全育成を図る活動

・奥沢・東玉川地区区民防災会議         :防災訓練や講演会などで災害に強いまちづくり活動

・奥沢地区民生児童委員協議会           :高齢者福祉や児童福祉を担い、区と住民とのパイプ

・奥沢地区社会福祉協議会               :地区福祉に関わる課題の発見・解決に取り組む

・奥沢地区まつり運営委員会             :地区内3学校を会場として地区住民のまつりを開催

その他にも色々な団体で同窓生の皆さんが活躍されております。 

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東玉川小学校の今(4)

学校支援地域本部

本校では平成17年度より世田谷区で最初に地域と共に学校運営を行う地域運営学校に指定され、学校の内部組織としての学校運営委員会が設置され、運営委員が教職員と連携して学校運営に取り組んで来ました。今年度、「学校支援地域本部」の制度が導入され、本校では学校運営を支援する4つの支援部に運営委員とは別れ、コーディネーターと参加委員が参加しての活動がはじまります。

 

タブレット型パソコンの持ち帰り学習実証実験

都教育委員会及び世田谷区教育委員会では、児童の基礎学力の定着の為「東京ベーシック」ドリル診断テストの利活用を進めています。
本校では、タブレット型パソコンを利用して、児童が進んで学習に取り組むことができるアプリケーションを開発し、実証段階になっています。
学校の授業でも活用していきますが、家庭にタブレットを持ち帰り、自宅で学習することで、学習効果を更に高めることとする為、本年度
4年生を対象にタブレット型パソコンの持ち帰り学習実証実験が行われることになりました。

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東玉川小学校の今(3)

 母校・東玉川小学校は、先進的な教育活動に取り組み、その活動が高く評価されています。
そのことについてご紹介を致します。

ICT教育の取り組み
平成21年度に「ICT活用教育センター校」の指定を受け、ICT機器を利活用した授業づくりに取り組む。
平成25年度には「UTプロジェクト(内田洋行と玉川大学による共同研究プロジェクト)」による情報端末(タブレットPC等)の活用授業の実践研究が本校で実施。
 ●
総務大臣賞(H27.3)「タブレット、超高速モバイルデータ通信を活用した移動教室」で、ICT夢コンテスト(学校部門で優秀賞を受賞。)
 ●
特別賞(H26.11) 「第10回IPA・ひろげよう情報モラルセキュリティコンクール」で、情報処理推進機構より特別賞を受賞。 

心と体の健康、エコライフ活動の取り組み
心を育てる教育として、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)に取り組む。
体を育てる教育として、体育の授業の充実に向けた校内研究に取り組む。
 ●
健康教育推進学校優良校(H26.2)「健康教育の推進」に、積極的に取り組み成果を挙げたとして、日本学校保健会より受賞。
 ●
歯科保健優良賞(H27.2)「学校歯科保健の推進」で、教育的な実践活動に努力したとして、都学校歯科医会より受賞。
 ●
せたがやエコライフ活動優秀賞(H27.3)「学校エコライフ活動」で、他校のモデルとなる先進的な環境にやさしい学校づくりに取り組み、平成23年度から4年連続で受賞。

他にもまだまだ紹介したい事案がありますが、紙面の都合で以上について記載いたしました。 

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東玉川小学校の今(2)

引き続き、母校・東玉川小学校の現状についてご紹介いたします。

ICT教育の推進
 東玉川小学校は、平成21年度に「ICT活用教育センター校」の指定を受けて以来、ICT機器を積極的に利活用した授業づくりに取り組んで来ました。そして平成25年11月8日(金)には「平成24・25年度世田谷教育ビジョン推進研究開発学校(教育の情報化)として『教育活動の充実と知力・学力の向上〜ICTの利活用を通して〜』を研究主題とした研究発表会を開催しております。
 当日は、「和みの学び舎」の東玉川小学校が第一会場となり、1年から6年までの全クラスで公開授業が、第二会場の奥沢中学校では1年の2クラスで公開授業が行われた他、「ICTの利活用と学校教育」と題した講演もあり、世田谷区内を初めとして多数の教員方が訪れ、大型テレビモニターやタブレット型パソコンを活用した先駆的な授業の取り組みを熱心に参観していました。

学校施設の改修
 平成25年度には、学校施設もいろいろな改修が行われています。体育館では、床面の全面張り替えや舞台下のパイプ椅子格納部の改修、窓枠サッシ等の改修が行われました。
 また校庭では、防災対策としてマンホールトイレが校庭東側(石川台中学校側)に設置された他、老朽化していた校庭遊具類が校庭南西側にまとめて設置され、更に地面部に安全マットが設けられる等の安全対策も行われています

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東玉川小学校の今(1)

私たちの母校・東玉川小学校は、開校62周年を迎えた今日でもどんどん進化しています。その一端を皆様にご紹介致します。

 ICT教育の推進
 東玉川小学校は、平成21年度に「ICT活用教育センター校」の指定を受け、積極的にICT機器を利活用した授業づくりに取り組んでいます。
 ICT(
Information and Communication Technology=情報・通信・技術)は、現在社会において必要不可欠なものとなっておりますが、教育の分野においても、ICTの必要性の認識が高まり、世田谷区においても積極的な導入が図られています。
 東玉川小学校では、全ての教室に大型テレビモニターや実物投影機やノートパソコンが配置され、更に本年度は世田谷区では初となる、タブレット型PCの導入や校内のWIFI(無線LAN)接続等は―ド面での更なる充実がなされ、先駆的ICTの利活用方法による授業づくりに取り組むこととなっています。
 また、世田谷区教育ビジョン推進研究開発校の指定を受けた「世田谷9年教育・和みの学び舎」の3校(奥沢中学校・奥沢小学校・東玉川小学校)も連携をして、「教育の情報化」の研究課題に向けてテーマ別の研究を進めることになっています。
 

学校施設の改修
 第2期体育館改修工事として、長年の念願であった「舞台下のパイプいす格納スペース」改良等が行われます。
 また、校庭の防災・安全対策工事として、老朽化し安全面でも不安があった校庭内遊具が、校庭の南西側(正門前の石川台に抜ける道路側)にまとめて設置され、地面に安全マットが設けられる等の安全対策が行われました。
 更に、今年夏には、校庭東側(石川台中学校側)に、防災対策として「マンホールトイレ」の設置が計画されています。
 

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渋谷駅と昭和時代の終焉

 報道でご存じだと思いますが、平成25315を最後に、渋谷駅が地下駅に変わり、東京メトロ副都心線と相互直通乗り入れになりました。昭和に東玉川小学校を卒業した第1期から第36期の世代の方々、特に第1期から第10期の60代以上の世代の方々は、昭和が消えていく寂しさがあるかと思います。
「私の東玉川は?私の奥沢は?」の番外に掲載しましたが、出光ガソリンスタンドの染谷商店もなくなり、玉川田園調布の環八沿いにあった大豪邸もなくなりました。自分たちの時代が終わっていくのを体感しているのではと思います。(そういう筆者もその一人です。)

 東横線に乗り渋谷駅で降り、前方の改札口を出て直ぐ右に曲がり、陸橋を渡ると渋谷文化会館に繋がり、プラネタリウムを見たり、パンテオンや名画座で映画を見たり、ジャーマンベーカリーでハンバーガーを食べたり、立田野のあんみつを食べたり 、又は階段を下り東横のれん街で買い物をしたり・・・・・したなあと色々な記憶が蘇りますが、駅がなくなり、蒲鉾形の駅屋根もなくなり、その思い出すきっかけもなくなりました。さびしい限りです。
 

 渋谷駅が終点駅でなく、通過駅になってしまった事も時代を痛感せざるを得ません。確かに、以前(2004年)、東横線桜木町駅が無くなり驚きましたが、それ以上の驚きです。余談ですが、高島町〜桜木町間の高架下の壁に描かれていた、消しては書かれ、消しては書かれていた有名なストリートパーフォーマーの絵はどうなったのでしょうか?

 翌日3月16日の田園調布駅では、勿論全ての掲示が、写真の如く変更されました。「中目黒、渋谷方面」から、「渋谷、池袋、所沢、川越市方面」となりなりました。
中目黒止まりがなくなり、渋谷行の他に、小手指行、新宿三丁目行、所沢行、和光市行、清瀬行、森林公園行、保谷行、川越市行、志木行、石神井公園行、飯能行及び池袋行が増えました。
行先だけを見ると、なんだか東横線ではないような気がします。便利なのか、寂しいのか複雑な気持ちです。
 (尚、中目黒で乗り入れしていた日比谷線は、今回
を機に相互直通運転を終了し、東横線は全列車が渋谷・副都心線方面の運行となり、日比谷線は全列車が中目黒までの運行に変更された。日比谷線直通の代替として、菊名発着の渋谷方面行きの列車を現行の日比谷線直通と同程度運行している。)
 

 田園調布発渋谷方面上りの始発は、午前5時7分発の和光市行(土曜・休日上りも同じ)で、終電は午前0時47分発の渋谷止まり(土曜・休日上りは午前0時36分)です。田園調布の駅コードはTY08です。(因みに自由が丘駅はTY07で、多摩川駅はTY09です。)
 田園調布からの運賃と時間は、
  渋谷までは今まで通り190円・12/15分
  新宿三丁目まで          350円・23分
  池袋まで                      380円・33分
  和光市まで                  460円・51分 
  森林公園までは、    1030円・1時間40分
  川越市まで                  760円・1時間15分
です。
 

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世田谷9年教育パイロット校「和みの学び舎」スタート!

東玉川小学校、奥沢小学校、奥沢中学校の3校は、3校の教職員や地域・保護者が連携して子どもを育てる教育を推進する世田谷9年教育パイロット校としての取り組みを本年度から本格的に実施することとなりました。

このグループの名称は『和みの学び舎(なごみのまなびや)』と称し、「学び合い、高め合う子ども」を教育目標とし、

重点目標は ㋐自ら学び続ける児童・生徒の育成

     ㋑自他を思いやる児童・生徒の育成

     ㋒健やかな心身を育む児童・生徒の育成 を掲げております。

 4月27日(土)には奥沢中学校で「和みの学び舎」平成23年度説明会及び3校合同学校協議会が開催され、グループ長の奥沢中学校湯川校長の挨拶の後、3校の新入教職員の紹介や、今年度の取り組みについての説明等が行われました。

 又、本年度の合同研修や合同協議会の開催日程も提示され、具体的な活動がスタートしました。 

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世田谷9年教育『おくさわブロック』発足

   世田谷区教育委員会では、小・中学校の主体性・特色を大切にしながらも、小・中学校が一体となって、義務教育9年間を通した教育を推進することとした「世田谷9年教育」に取り組んでいます。

  この「世田谷9年教育」の実現に向けた年次計画では、平成24年度に全区立小・中学校で試行、平成25年度から全区立小・中学校で実施が計画されており、平成20年度からは4つのグループがパイロット校に指定され、小・中学校合同の取り組みが試行実施され ています。

  奥沢・東玉川地域にある小・中学校はパイロット校の指定はありませんが、世田谷9年教育「おくさわブロック」として奥沢中、奥沢小、東玉川小の3校がグループ名『和みの学び舎(なごみのまなびや)』として のグループが発足しました。

  本年4月22日の発足式には、教育長も来場し、パイロット校以外では、第1号となるグループ発足への期待の気持ちを挨拶の中で語っておりました。

  本年度は、グループ基本方針の「地域の教育基盤を生かし、子供たちが明るく、元気に、力を伸ばす学びの舎」子供たちに「学ぶ力」を育てる学校づくりの具体化のために、「教員の授業力向上 」と「生徒(生活)指導力の向上 」の2項目に取り組むこととなっています。

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地域運営学校世田谷9年教育

地域運営学校について

世田谷区では、全国に先駆けて全ての区立小・中学校に学校協議会を設置し、開かれた学校づくりを進め、地域とともに子どもを育てる教育を推進してきました。
 そして、子どもを取り巻く環境が大きく変わる中、子どもに生きる力を身に付けさせるためには、学校の取り組みだけではなく、家庭・地域・学校の3者がともに協力して子どもを育てることが不可欠となってきています。
 そこで、これまでの積み重ねを踏まえ、保護者や地域の方々の学校運営への参画をさらに進め、地域に開かれた学校となるよう、平成17年3月に区内の3つの小学校と2つの中学校が『地域運営学校』に指定されました。東玉川小学校は制定初年度からこの『地域運営学校』に指定されており、今年で5年目になります。

 この地域運営学校に設置された「学校運営委員会」では、本校の教育課題、新教育課程の理念に基づいて4つのプロジェクト
(校内緑化、学習支援、読書活動推進、家庭教育支援)を立ち上げて、校務分掌組織とも校連させて活動しています。
 又、本年より学校運営委員会・委員長に、第5期卒業生染野和夫氏が選出され、同窓会としても、より一層母校への支援をしていくつもりです。
 

世田谷9年教育について

国による教育基本法(平成18年12月)、学校教育法等(平成19年6月)の改正を踏まえ、世田谷区教育委員会では、
世田谷区 の保護者、区民の学校教育への高い期待に応え、これまで以上に世田谷区 の児童・生徒にふさわしい、小・中学校9年間を見通した質の高い学校教育の実現を目指しています。
 地域の教育力を活かしながら、区立小・中学校9年間を見通した教育内容、学校運営体制により、子どもたちの個性や能力を伸ばし、豊かな人間性を育む教育を推進します。そのために、小・中学校9年間を見通したカリキュラムや教材を開発し、より質の高い教育を展開します。」
を進めています。(世田谷区 教育ビジョン第2期行動計画)

     区立小学校、中学校がそれぞれに教育活動を進めるのではなく、同じ地域や近隣にある区立小・中学校が、小・中学校の枠を超えて一体となって、地域の教育力と特色を活かし、世田谷区 の児童・生徒にふさわしい質の高い教育活動を展開するものです。

     現在、保護者、地域の方、学識経験者、区立小・中学校の学校長等を委員とする「『世田谷9年教育』検討委員会」(以下「検討委員会」)を設置し検討を進めるとともに、中学校4校、小学校8校を4つのグループにして、小・中学校での連携を中心とした「世田谷9年教育」の先駆的な取り組みを行っています。平成20年度のパイロット校は、以下の4グループです
1.山崎中、山崎小、城山小
2.弦巻中、弦巻小、松丘小、
3.八幡中、八幡小、九品仏小、
4.用賀中、京西小、用賀小
奥沢・東玉川エリアでは、平成17年度から地域運営学校に指定されている母校、東玉川小学校に加え、平成21年度から奥沢小学校及び奥沢中学校が新たに地域運営学校となり、地域と3校が一体となってこの取り組みへの準備が始まっております。

     このほど検討委員会から「『世田谷9年教育』検討の中間まとめ」が示されました。区教育委員会では、検討委員会での検討を踏まえ、平成22年度より全区立小学校で、平成23年度より全区立中学校で世田谷9年教育の試行実施を開始する予定です。

世田谷9年教育主な取り組み内容は(「『世田谷9年教育』検討の中間まとめ」より)次の通りです。
  ○9年間を通したカリキュラム・教材の整理・開発及び新たな指導体制の整備
  
○学校運営体制の整備
  
○教員の研修・研究体制及び教育委員会の学校への支援体制の充実。

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呑川を覚えていますか?

石川台中学校の裏に流れている川です。
大岡山の東工大の防空壕の塹壕に遊び?(危ないので禁止されていた)に行く時に渡る川です。
昔はといっても昭和30年代中頃までは、川はきれいで、泳ぐには浅すぎたのですが、ザリガニ、鯉、フナ等が獲れ、フナは理科の実験に利用した記憶があります。
又、台風時には濁流が川の上淵まで来たのを覚えています。
ただ、昭和40年代には、河川工事(後述参照)が始まり、垂直護岸が初めは木柵、鋼矢板、最終的にはコンクリートで固められ、中に入れなくなり、多分15期生以後の卒業生には、呑川で遊ぶという事にあまり馴染みが無かったのではと想像します。

 その昔呑川は、3箇所からの湧き水の流れが集まってできた川でした。
水源は、桜新町 から来る流れが本流とされ、2番目は柿の木坂支流で、都立大学駅付近で合流し、3番目は九品仏川で、緑が丘駅付近で合流していました。
その他に、清水窪湧水等が洗足池経由で、道々橋付近で合流する流れ、六郷用水と池上で合流・分流もあったようです。

戦後、農業用水として、また生活排水用に利用されていましたが、当時は、水洗トイレや洗濯機は未だ普及しておらず、生活排水の流れ込む水量が、多くなかったため、それなりにきれいな川でした。
しかしながら、台風をはじめ、しばしば水害の被害を受けた中小河川への対策及び「ドブ川」と化していた川の下水道利用として、都が昭和35年に「東京都市 計画河川下水道調査特別委員会」を設置し、昭和36年に、源頭水源を有しない河川の一部又は全部を暗渠化し、下水道幹線として利用することになりました。
呑川も含まれ、世田谷区内、目黒区 内の呑川だった場所、すなわち緑ヶ丘駅付近より上流に蓋がされ暗渠化し下水道幹線になり、覆蓋上部を遊歩道として利用されるようになりました。
小学校校庭の正門脇の道も呑川覆蓋上部の遊歩道ではありませんが、呑川緑道軸構想の遊歩道の一部になっています。

よって、現在では世田谷や目黒の湧き水は、一滴も呑川に入ってきません。緑が丘駅付近から下流の水は、新宿区 の落合下水処理場の高度処理水をはるばるパイプで引いてきているのです。石川台中学校の裏あたりの川の水は、昔みたいにとてもきれいです。
但し、これは晴天時の話で、雨天時には世田谷・目黒区 の呑川下水道幹線に流れる汚水及び雨水の混合した水の一部が呑川に流れ込みます。少し強い雨が降ると呑川が臭うのは、このためだそうです。
余談ですが、上流から池上付近まで臭いのは、前述の降雨による一時的現象ですが、蒲田付近以降の臭いのは、流れてきた水と海水とがぶつかり、水が停滞することにより腐敗するためで、水の色も黄色や黄緑色で、強烈な悪臭が するそうです。

 緑が丘工大橋
この橋の上を奥沢から東工大の校庭の脇を通り大岡山駅へ行く道路が通っています。

その道路と平行し、東急目黒線が走り大井町線が合流します。その大井町 線合流地点の下にプレハブの家があったのを記憶している方もいると思いますが、今はなくなりました。

この橋の上流へは、地下道があり道路及び線路を潜り、遊歩道につながります。

下流には自転車置場がありますが、そこまで蓋がしてあり、呑川が黒いゴムの扉の後、開渠になり現れます。

境橋
呑川が緑が丘で開渠になってから最初の橋です。河口から約
9.4km地点です。

島畑橋
奥沢タイヤ公園から大音寺・白菊幼稚園の前の細い道を通り、この橋を渡り、大岡山へ抜けてる裏道です。結構幅広い橋です。

島本橋
小学校の運動場及び石川台中学校の運動場の脇の道を歩いて行って最初に当たる橋です。渡った所に、華園児童公園があります。

柳橋
中原街道の石川台交差点を環八方面へ行く道の曲がった直後の橋です。川と道路に挟まれた三角地帯に「清流の復活」と書かれた石碑があります。これは先程述べました新宿の「落合処理場」の高度処理水が呑川に流された「清流復活事業」の記念として建てられたものです。

石川橋
中原街道が上を通っています。河口から約
8.5kmの所です。この先は、雪谷、池上、蒲田と流れ羽田空港河口までに、道々橋、池上橋等を含む59の橋があります。

 

この先は自分で探検してみて下さい。

                           情報:呑川の会ホームページを参照

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『地域運営学校』とは

 私達の母校である東玉川小学校は、平成17年から4年間『地域運営学校』に指定されました。
 これは、平成16年6月に改正された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」により、保護者、地域住民等によって構成される「学校運営委員会」が一定の権限と責任をもって学校運営に参画することが出来る制度です。
 世田谷での地域運営学校の指定は、小学校は城山小、用賀小、東玉川小の3校、中学校は山崎中、八幡中の2校です。
 指定期間は平成17年4月〜21年3月迄の4年間で、今年度は2年目を迎えることとなります。

ここで、この『地域運営学校』とはどんなことなのか?について少しわかりやすく説明を致します。 学校運営の全体イメージは下図のとおりです。学校運営委員ならびに学校外部評価委員として世田谷区教育委員会より委嘱された委員が、一定の権限と責任をもって学校運営に参画することが出来る制度になっています。

 今年度は他団体役員と兼ねてはいますが、同窓会からは学校運営委員には合志誠治氏(1期)、平野佳紀氏(21期)の2名が、学校外部評価委員には和田秀寿氏(14期)、神長みどりさん(16期)の2名が委員として参画しております。

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地域運営学校 (コミュニティースクール)

 @学校運営委員会を通じて、保護者や地域の皆さんが一定の責任と権限をもって学校運営に参画することにより、そのニーズを迅速かつ的確に学校運営に反映させる。

A学校・家庭・地域社会が一体となって、より良い教育の実現に取り組む。地域の創意工夫を生かした特色ある学校づくりが進むことで、地域全体の活性化も期待できる。

[学校運営委員会]

○役割
 1 学校運営に関する基本的な方針の承認
 2 学校運営に関して、区教育委員会や校長に意見を述べることができる
 3 教職員の任用に関して、東京都教育委員会に意見を述べることができる

○委員構成
 10人以内
 保護者、地域の代表、卒業生の代表、学区域内の幼稚園、保育園の保護者代表、学識経験者、校長等

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1期生の卒業記念で植樹した楠(くす)の木は、今何処に?

在りました。残念ながら敷地外ですが遊歩道に樹齢60年?の雄姿で頑張っていました。
 楠の木は、防腐、防虫効果に優れ(樟脳を含油)、水や塩水にも強く、有名な厳島神社の大鳥居(安芸の宮島)に使われており、樹齢推定2500年!(大山祇神社)の大木など在り、 子供達に『たくましく生き抜いて欲しい』との願いから選定されたものと聞いています。
  
幹の太さは1m位ありそうです。

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渋谷33系統

覚えていますか渋谷33系統のバスを??
渋谷から国道246の三宿、学芸大学正門前、柿の木坂交番、都立大学駅前、緑ヶ丘交番前そして奥沢で自由通りに入り、東玉川を通り、雪が谷経由で大森操車場へ行く東急バスの事です。
東玉川の人は奥沢駅に行く時、奥沢の人は都立大学駅に行くとき、特に下記のバス停を使用したのではと思います。暇であれば1時間から1時間半かけて渋谷へ行った方も多いと思います。
 -奥沢二丁目
     
 -奥沢駅北口
  
 -奥沢駅南口
  
 -奥沢駅通り
  
 -東玉川町
  
 -東玉川交番前
  
 -調布高校グランド前
  

まだ、この路線は存在しますが、終点が多摩川駅(昔の多摩川園前)に変更され、朝の5便しか走っていません。メインは多摩01系統に変わり、東京医療センターから、都立大学駅前で渋谷33系統に合流し、多摩川駅に行きます。始発が6;30頃で終バスが20:30頃、先の渋谷33系統の5便が混流するとき以外は、1時間に1便しか走っていません。

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母校は現在(いま)!

1.児童数の変遷

・平成18年4月現在、東玉川小学校の児童数は378名、学級数は12クラスです。

昭和55年の723名以来、毎年児童数は減り続け、平成12年度には10学級242名となってしまいました。東玉川小学校は、学校が素晴らしいことでは誰からも認められているにもかかわらず、学区域が世田谷区の東南の端にあるため、社会全体の少子化の波をそのままかぶってしまった結果であると考えています。

しかし、歴代の校長先生はじめ、関係諸氏のご尽力の結果、平成13年度より、大田区の石川町2丁目15〜33、雪谷大塚町1番、目黒区緑が丘3丁目3〜11番が、世田谷区教育委員会より区域外就学の特別地域として認められました。その結果、大田区や目黒区から本校に入学する児童が増えました。そして、本校の児童数は、平成13年度は257名、平成14年度は261名、平成15年度は285名、 平成16年度は302名、平成17年度は332名 そして今年の378名と6年連続で増え続けるようになりました。

今後、更に学校教育の活動内容を充実させ、地域の方の信頼を勝ち取ることで児童数を増やし、12学級300名程度の児童数を常に維持できるように努力していきたいと考えています。世田谷区の東南の端ではなく、世田谷区と大田区と目黒区の3つの区の中心に位置する学校として、発展させていきたいと考えています。

 

2.教科や授業時数の変遷

・ 平成14年度から学校完全週5日制になり、学習指導要領も変わりましたので、平成15年度と昭和52年度(約25年前)の授業日数と教科の時数の変遷を比べてみました。

  平成15年   年間授業日数 204日

国語

社会

算数

理科

音楽

図工

家庭

体育

道徳

特活

総合

総計

175

100

150

95

50

50

55

90

35

35

110

945時間

  昭和52年   年間授業日数 243日

国語

社会

算数

理科

音楽

図工

家庭

体育

道徳

特活

総合

総計

245

140

210

140

70

70

70

105

35

70

0

1155時間

    約25年の間に、授業日数で約40日、授業時間で、約210時間減ったことになります。なお、教科の変遷としては、低学年で理科と社会がなくなり生活科が出来たこと。高学年では、他の教科の時数が減り、総合的な学習の時間が出来たことが大きな変化であるといえます。生活科も総合的な学習の時間も体験活動と自分で課題をみつけそれを解決していくことを目指していることでは共通するところがあります。教えられたことを一生懸命覚えることから、自分で考え解決できる人間の育成を目指しています。

 

3.現在の東玉川小学校の特色ある活動について

@ 「よく考え工夫する子ども」との関連では、
    個に応じた指導として、理科・生活科で、少人数指導を行っています。学級担任以外に理科・生活科の講師が加わり2学級の子どもを3人の教員で指導しています。こうすることで、子どもたち一人一人の思いや願いにより多く応える授業にすることが出来るからです。

また、総合的な学習の時間に、パソコン指導を行っています。現在本校のパソコン室にはwindows2000に対応したパソコンが21台設置されており、1年生から6年生まで発達段階に応じてパソコンが使えるように指導しています。

A「進んで取り組みやりぬく子ども」との関連では、
    運動会での組み体操等を粘り強く練習して、多くの保護者の皆様や地域の皆様に喜んでもらったり、新春奥沢地区まつりの子どもマラソンに多数の子どもが参加して優勝するなど、素晴らしい実績を上げています。

B「思いやりのあるたくましい子ども」との関連では、
    5・6年生の有志の子ども達が、東玉川地区会館前の花づくりボランティアに参加し、地域の人たちとともに町を緑化する活動を行っています。よりよい町作りに協力することで、地域の方達から喜ばれています。

また、お客様会食会などに多くのお客様をお招きし、ともに会食を楽しんでいただいています。毎年招待状が届くのを心待ちしている方がいるというほどの好評ぶりです。

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東玉川小学校 児童数の移り変わり

平成12年の在校生数は242名、これは、昭和30年のピーク時850名と比較しますと28.5%、即ち7割以上の減です。しかし、卒業生の人数で見ると、昭和34年(7期)の卒業人数は187名に対し、平成14年(50期)は37名と約五分の一の大幅減です。

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(東玉川小学校 開校50周年記念誌より)

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おや児の会

「おや」が「児(東玉川小学校の児童)」と積極的に関わる事を目的として結成され、多数の同窓生や同窓生の親達が参加して、色々な活動を行っています。
活動内容としては;
- 母校の運動会の準備、パトロール、後片付け
- 世田谷区小学校PTAソフトボール大会への参加
- 校庭での花火大会の協力
- 夏休みのラジオ体操でのデモンストレーション
- 先生とのソフトボール大会、懇談会の開催
- 校庭での昔遊び、焼き芋イベントの開催
- きも試し大会、ファミリー運動会の開催
等々、幅広く活動しています。
皆さんも是非ご参加ください。
 

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サッカーサークル「FCひがたま」

東玉川小学校の同窓生や保護者が中心となって活動しているサッカークラブです。
シーズン中は毎週日曜日にサッカーを通じての交流を行っています。
又、大会の時には先生方も参加してくれています。

活動内容は;
‐ 奥沢地区子供サッカー大会の朝練実施、参加協力

‐ PTA会長杯サッカー大会への参加

‐ 奥沢中学校サッカー部との合同練習、練習試合
‐ 奥沢中学校野球部との親善試合

‐ 東玉川小学校、奥沢小学校の学校行事、地区行事への参加協力などです。

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東玉川野球子供会

東玉川小学校の在校生を主体とした野球チームで、アットホームで温かいチーム作りを目指して活動しています。シーズン中は毎週土・日の午前中練習してます。
交流試合、地域の大会の他、下記の行事に参加しています。

1月 奥沢新春地区まつり
3月 試合・6年生を送る会
7月 合宿

12月 記録会

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同窓生として、現在は6期豊崎信夫、29期瀧健司及び30期眞嶋慎一がコーチとして参加しています。

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東玉川小学校が生まれるまで

                         東玉川小学校 創立30周年記念誌より

Higatama-Original05.jpg (57435 バイト) 昔 東玉川町は荏原郡玉川村大字等々力諏訪分といわれました。玉川村の東の方なので、東玉川町と名前がつけられました。また、大平出羽守と言う人が住んでいて、吉良家に仕えて砦であったという説もあります。そこで”大平分”とも言います。ここは、等々力の飛地で、田園調布の台地を過ぎると、多摩川に望み、山の砦としては良い場所でした。等々力から移住した時は、十戸を増すことを禁じていたようですが、明治以後はだんだん家も多くなって来ました。関東大震災にも、あまり被害を受けることもなく、地区整理工事が昭和6年に完成して、今の東玉川町ができあがったのです。
Higatama-Original01.jpg (9664 バイト)
   諏訪分 住居者
 元禄時代始から明治まで 百姓拾戸
 明治中          十四戸
 大正中          七十四戸
 昭和元年中        九十三戸
(諏訪神社 御大典記念碑 裏分から)

Higatama-Original04.jpg (47738 バイト) 中原街道は、江戸時代前からの古い道ですが、徳川家康が江戸に入ってから、中原往還となりました。 これは、相州中原に将軍の別荘、中原御殿を造ったためで、東海道よりも利用客が多かったそうです。 中原街道は、この名の他に、相州街道、御酢街道(江戸城用の食酢を相州中原村から運んだ)、江戸街道(江戸と二本榎猿町に通じていた)と、呼ばれていました。
 まわりは、水田と畑、山林でした。農家は朝三時か四時には牛車に野菜を積んで、神田や京橋に運び、町なかの家から下肥を分けてもらって帰ることでしたが、目黒川、立会川を渡り、坂を上り下りしたので、ずい分苦労したようです。
 大正十二年の関東大震災のあと、多く人が都心から移り、蒲田と雪ケ谷間に電車が開通、昭和三年五反田まで全通したので、住宅地として、発展しました。
 雪ケ谷−新奥沢 1.4キロメートル (池上線支線、池上電鉄奥沢線)が、東玉川町の中を、ゴトゴトと、走っていました。 これは、延長計画がうまくいかず廃止しました。(昭和三年十月五日−昭和十年十一月まで)
Higatama-Original02.jpg (20914 バイト) 奥沢一丁目は、玉川村大字奥沢字開平、稲荷山、丸山、諏訪山、沖ノ谷でした。沢が昔はあったようですが、今はわかりません。
Higatama-Original03.jpg (88566 バイト) 大音寺の後ろのあたりまで、海が入って来ていたそうです。 いつのころかはわかりませんが、外国から来た船が、ここで沈んだという、いいつたえもあります。 又、今の変電所の南に「貝売山」という場所があって、貝塚があるそうです。
 大音寺とその周辺、大音山は世田谷城、奥沢城と関連した防備の地でした。山頂に見張り小屋を作って野武士を募集してホラ貝を吹き鳴らさせたので、「大音山」というそうです。 今よりも緑が丘の方へ約五百メートル寄っており幅七、八十メートル高さ七メートルの雑木林でした。 大音寺は元禄のころに浄土宗の寺として建立され、二回の火災で焼け昭和になって建築されたそうです。 この大音山の中央に、今の奥沢中学校があります。 大正年間に耕地整理をした時に現在のように山を切り取りその土砂を目蒲線を敷設する時の砂利に利用したそうです。 土は住宅地へ盛土としたのだそうです。そのため、今も道路の方が低いのです。
 大音寺は地図で見てもわかるように、小山になっています。 呑川が東を流れて、少し大雨が降ると水があふれてしまいました。 又、大音寺の南は土地が低くて、「石川たんぼ」といわれていました。 現在の地図と比べて見ると、整地の苦労が思われます。
 呑川の水源は深沢、浄真寺の九品仏池等、ニ〜三か所から流れ出し緑が丘の南で合流して、大田区の方へ流れていますが、水田灌漑用水として利用され、水争いもありました。 又、野菜の洗い場として利用されたりしました。 大正時代は岸の高さが低く草や竹が茂り、小鳥が多く、水も澄んで、魚とりをしたり、水遊びもできたそうです。 昭和になって改修工事が行われましたが、大音寺山門下の道を東へ出た所に現在、自動車の通れない橋が呑川にかかっています。 これは昔は石の一本橋で、このあたりは大雨のあとなどは、すぐに水があふれていたようです。Higatama-Original06.jpg (14123 バイト)    Higatama-Original07.jpg (13373 バイト)
 東玉川町が東玉川一丁目二丁目となって、今の学区域のように住宅地として発達して来たのは、中原街道の発展と、東急池上線や東横線の輸送力がふえたこと、田園調布の高級住宅地としての発達も見のがすことはできない点です。 又、奥沢一丁目は、奥沢本村から奥沢新田を合併し奥沢小、八幡小、九品仏小の学区域にまたがる大きな奥沢町の一部でした。 それが自由ヶ丘の商業地、奥沢駅前等、駅付近の商業地と住宅地、大岡山・緑が丘付近の商業地と住宅地、東急大井町線・バス輸送力・環状八号線の発展整備等の影響から、東玉川小学校の学区域は、住宅地として発展してきています。
 大きなマンションは奥沢一丁目の「石川たんぼ」と言われた低地帯であった付近に多く、東玉川には三菱銀行、東海テレビの社宅等の鉄筋の建物はありますが、主として一戸建住宅が多く見られるのは、戦前戦後あまり変化しない傾向ではあるようです。
 東玉川と奥沢との間を通っている学校の前の道路は、環状八号線がその昔、筏道といわれていたころから、奥沢本村と大平分を分ける往還として、中原街道の石川橋へ通じていた大切な道であったようです。 現在も、車がたくさん通って危険ですね。 

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誰か教えてください

1.確か二ノ宮金次郎の像があったと思うけど?今は何処??

ありました!!今の正門から入った左手の茂みの中に、昔と同じ顔をして(当り前か!)、でも台が無いだけ背が低くなっていました。

福田先生(1期1組担任)の背中でカクレンボ・・・頭隠して尻隠さず の金次郎君 正門玄関右脇に鎮座していたんですネ。台座がない分低いと表現してありますが、台座が沈んだ分・・・が正解のようですね。

higatama-Fukuda.jpg (52436 バイト)

卒業時にクラス全員にサイン付きで配られた写真で、当時写真が高価で貴重だったことが伺われます。

2.石川台中学校との間の畦道はいつ道路に変わったの?
  昔は休み時間によくザリガニを取りに行きました。

多分昭和32年頃かと思われます。

3.東玉川小学校前の道路は、バス通りでしたが、いつからバスがなくなったの?
  東玉川小学校前というバス停がセブンイレブンあたりにありました。

東急バス社によりますと、運行開始が昭和31年6月1日、運行系統廃止が昭和41年2月13日だそうです。 約10年弱、東玉川小学校前というバス停が存在した事になります。

経路は、二子玉川〜等々力駅〜石川台〜長原を経由し大森駅までだそうです。

東急バス株式会社 お客さまセンターの係りの方、ご回答有難うございます。

4.以前、第一回卒業生全員の写真が常に校長室に飾られていたそうです。今、その写真は何処?

5.小学校裏(今の体育館の裏あたり)の養鶏場はいつなくなったの?

多分昭和35年頃かと思われます。

6.だるまストーブはいつなくなったのかな?
  冬に石炭を燃やし暖をとり、かつ弁当を温めました。

昭和40年代頃から学校順にガス化されたそうです。多分、東玉川小学校は、昭和50年の新校舎完成でなくなったのではとの話です。 (宮川先生談)

7.先生に、危ないから行ってはいけないと言われた東工大の防空壕、今は?

8.昔の桜の木はまだ残っていますか?

昔の正門付近にある現在の桜の木

9.昔の時計は廃棄されたのですか?

10. 校庭で発見したこのローラは、いつ頃のもの?

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探しています。

どなたか旧校舎の見取図をお持ちの方いませんか?

創立30周年記念誌より、昭和44年頃の見取図が見つかりました。

higatama-heimenzu.jpg (21883 バイト)  25y-Genkan.jpg (16025 バイト)

木造校舎と運動場
校門は宏月さんの方にありました。(北門の所ではありません。)
入ってすぐ右側は保健室。とても、きちんとしていました。左側は用務員室、その横が給食室でした。理科室の二階が音楽室で宏月のすぐ上でした。窓は二重で、あまり大きくはありません。どの教室も、お掃除がきれいに出来ていました。建物は二十年たっているので、つぎたしたり、修理に修理を重ねて外側は汚れていましたが、こわすのがもったいないようでした。
図書館も大きな机があって(今も三台位ありますね)しっかりしたカウンターもありました。
第一校舎と第二校舎の間は遊び場、運動場は階段をおりた下です。
今の給食室や職員室、校長室、家庭科室の所はみんな広い運動場になっていました。まわりは、雲梯、のぼり棒、ブランコが今と同じところにありました。
南側は花畑で、春はすみれがいっぱい咲きいろいろな花が、いつもきれいでした。
池もあって、金魚がたくさん泳いでいました。(山岡先生、敷根先生にお聞きして)
                                     創立三十周年記念誌より

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是非この欄に掲載したい面白い又は懐かしい情報、企画等がありましたら、東玉川小学校同窓会事務局(これをクリックすると自動的に電子メールが開きます。)まで電子メールにてご連絡ください。

東玉川小学校同窓会事務局